奉納ローソク 楽屋噺

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    先日、奉納ローソクに関する決まり事の変更についてお知らせしましたが、さて、その後のお昼の勤行で、3本以上のローソクが上がりました。

    今までは一日2本しか上げられない、となっていたのですが、変更後は一日に5本まで上がることになり、燭台を増やしたのですが、その燭台を初めて使った日のことです。

     

    今までの燭台よりも新しい燭台が少し小ぶりだったせいか、ローソクがぐらつくような気がしました。

    ローソクが乗る台座の部分をちょっと何かで埋めるとか平らにすればローソクが真っ直ぐに立つのではないかと思い、お寺の施設の営繕、特にIT関係や機械・電気・技術といった分野に長けたスタッフの方に相談してみました。

     

    そうしたら、次の日、あれは燭台の口径ではなく、台座に付いているローソクを差して立てる針状の芯の長さや太さの問題ですと教えて下さったので、なるほど、我々と違って、物理や技術に詳しい方は一目で理屈が分かるんですねと申し上げると、いいえ、一晩考えましたと仰ったので、また目から鱗が落ちました。

     

    物事というのは、自分は苦手だ、あの人は得意で利口だ、だから何でも分かって当然だ、という風なものではないのですね。

    分からなければ考える、その姿勢が大事なのであって、言われてみれば、私たち僧侶も供養に関するいろんな質問を受けるたび、何でも簡単にお答えしているように見えますが、やはり自身の知識と経験に照らして、そして仏法の真理と教えに基づいて、一瞬に考えを巡らしてお答えし、それで足りなければ、何日でも考えて、より良い答えが出たら、改めてお伝えさせて頂いているのではないのでしょうか?

     

    物事のヒントは、生活のどんな場所にも落ちているんだなあと思います。

     

    慈妙院動物霊園 僧侶 唯心

    jimyouin * お寺の日常 * 14:03 * - * - * - -

    奉納ローソクの話

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      慈妙院の奉納ローソクは、本山である比叡山の山内諸堂で行われている形式に準じて、供養や祈願の言葉を書いて頂いたローソクを、上げて頂いた順番に仏さまの近くでお灯しする、というものですが、慈妙院では多くの方がペットさんの供養について書いて下さっています。

       

      さて、慈妙院のお昼の勤行では「一日2本までしか奉納ローソクは上げられない、その後の方のローソクは、翌日以降にお上げする」として参りましたが、最近ではどうしても参拝した当日に自分のローソクを上げてほしいという方が多くなりました。

       

      本来、そういうご要望はお昼の勤行ではなく、一組でのご法要(特別供養)を執り行って頂くべきである、として来たのですが、この度、皆様のお気持ちに寄り添う形で、以下のような改変を行いました。

       

      1.燭台を増やし、一日5本までローソクを上げられることにする。

      2・ローソクを上げる日にちや場所、順番の指定はできない。

      3.ローソクを上げる順番は書き終わったローソクを寺務所に届けて頂いた順番とする。

      4.慰霊祭の日は奉納ローソクは上げられない。

       

      以上、皆様の常日頃よりの恭敬供養のお気持ちに心より厚く御礼申し上げます。

       

                              合掌

       

      慈妙院動物霊園

      jimyouin * お寺の日常 * 17:49 * - * - * - -

      四十九日供養に関する覚え書き

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        大鐵和尚からお題を頂きました。

        前回のこの「慈妙院動物霊園 スタッフブログ」に、大鐵和尚が「四十九日供養」のことを書かれていました。

        四十九日に関する説明を、難しすぎず、かと言って口当たりが良いだけの、読む方に媚びただけの、いい加減で舌足らずな言葉でなく、きちんと説明できますか、良ければこのブログで一度改めて書いてみてくださいとのことでした。

         

        改めて、という大鐵師のご意向には反しますが、以前に書いた四十九日に関する私のブログをここに採録しておきます。

        実を言うと、四十九日に関するご質問は私もこの慈妙院でよく受けるので、このブログに「四十九日供養」というカテゴリーを設けさせて頂いていました。

        大鐵和尚の前回のブログも、このカテゴリーに今日私が登録しておきました。

        では僭越ながら、拙ブログの採録をご笑覧頂ければ幸いです。

         

        ※  ※  ※

         

        ペットを亡くしてひと月くらいの方が、まだ四十九日にならないのに、「精入れの済んだ黒位牌が出来ました」と言われたそうです。

        さあ、その方は、黒位牌を手にして悩んでしまわれました。四十九日まではまだ仮の仏さまで、四十九日目に成仏する、だからそこで黒の本位牌に精が入るのだと思っていたのに、なぜ今日? 私が今日お参りしたことが功徳になって精が入ったの?

        そうではありません。精が入るというのは実は仏教用語ではありません。魂が位牌に入ったり位牌から抜けたりするのではありません。

        この位牌はおもちゃやままごとや自己流で勝手に作った品ではなく、ちゃんと仏さまの教えに則ってお祀りするための道具です、ということを確かにするために、俗に言う「精入れ」=「開眼作法」という儀式を、お寺にしてもらうのです。

        亡くなったペットさんは、亡くなった瞬間から極楽におられます。ただし四十九日までは、まだ修行期間で、四十九日目から無事、一人前の仏さまになられます。

        それを目に見える形で表したのが白い位牌と黒い位牌なので、たとえいろんな事情でその二つが並存することがあっても、仏さまの世界での状況に、なんら揺らぎはないのです。

         

        ※  ※  ※

         

        四十九日に関するご質問が多いのは、皆さまがそれだけ亡くなったペットさんの行く末を、真剣に考えておられればこそだと思います。そしてそれこそが、「供養」というものの、スタートラインなのですが、またさらに詳しい四十九日のご説明に関しては、追い追いにご説明させて頂きたいと思います。

         

                   本日の担当 僧侶 唯心

         

        ※下の「四十九日供養」というカテゴリー名をクリックして頂くと、四十九日に関する過去記事をご覧頂けます。

        jimyouin * 四十九日供養 * 17:47 * - * - * - -

        四十九日の白木の位牌

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          2018年3月13日(火) 僧侶大鐵

           

           「四十九日になるとこの白木の位牌から黒位牌に移るのですか?」

          こんな質問をお昼の勤行が終わったあと受けました。私は「あくまで白木の位牌は四十九日までで、そのあとのことは分かりません。別に見たわけでもありませんので・・・。」という回答をしたのですが、このあまりのも冷たい対応に罪深さを感じたので四十九日を意味を私が教わったことを中心に話したいと思います。辞書やウィキペディアと見解が違っても苦情は言わないように。

           そもそも仏教の葬儀とは半分は得度式です。要するに僧侶になるための儀式です。もう半分は死者を弔う儀式です。そして四十九日とは私の修行したお寺で、まず、修行すると最初に見習い期間があり、その建物が白い造りの部屋に入れられ、坐禅やお経、作法、所作を徹底的に仕込まれます。その期間が約49日間で禁足といわれております。そこが由来なのではないでしょうか?見習い期間が終わると本格的に先に入った修行僧と混じって修行を行います。亡くなった方はお釈迦様の元で一緒に修行するという設定ですので、僧侶と同じ段階を踏むのです。

           しかし、私は実際に死んだ方がどのような世界に行くかもどんな生活をするかも分かりません。ですからあくまで伝承に過ぎないのです。白木の位牌から黒位牌に移るということは魂や霊的なものが移るというこで話しておられると思いますが私は実際に移るところを見たこともありませんのではっきりしたことは申し上げることはできません。しかし、これからこのような質問があった場合私はこう答えたいと思います。

           「白木の位牌から黒位牌に魂が移ったどうかは分かりませんが、あなたの気持ちが次の段階に移った証となります。四十九日間は亡くなったことに悲しんだり、思い偲んだりしておりましたが、これからは生きたという証を旨に自分がどう生きていくか?どう生きたら亡くなった方々、ペットの供養になるかを考えて生きていかねばならない段階に入ったということです。お参りするばかりが供養ではありません。自分が周りに心配かけずに元気よく生きることも1つの供養になるのです。供養にも他に色々な形があることを考えて生活してみてください。」

           

          jimyouin * 四十九日供養 * 14:32 * - * - * - -

          人間と動物

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            人間と動物って、何が違うのだろうと、よく考えます。

            そんなテーマの科学読み物を時々手にしますが、さほど満足の行く内容に行き当たりません。

             

            そんな中で「若い読者のための第3のチンパンジー」(草思社文庫)という本は、なかなかに面白いと思って読んでいたら、NHKで著者のジャレド・ダイヤモンド博士が同じ内容をわかりやすく解説する番組が始まりました。

            テーマに関する情報が原作以上によく理解できる構成で、興味が尽きません。

            もう少しで最終回です。興味のある方は是非ご覧ください。

             

             

            本日の担当 慈妙院動物霊園 僧侶 唯心

            jimyouin * お寺の日常 * 17:45 * - * - * - -

            お寺では「虹の橋」のことを、どう考えていますか?

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              天台宗のお寺である、ここ慈妙院で、お参りの方から「虹の橋ってあるんでしょうか?」という質問を受けました。

               

              「虹の橋」については、説明するまでもないでしょう。

              皆さまが「虹の橋」があればいいのに、「虹の橋」でまたペットと会えればいいのに、とお思いになるお気持ちは、重々よく理解できますが、100%お寺の考えと同じではないですよと、お答えしようと思った時に、ちょっと気が付きました。

               

              例えば天台宗で亡くなった後に行く所とされているのは、「極楽浄土」です。

              きれいな池があって、宝石で飾られた欄干があって、みたいな描写がお経にはありますが、名前が違うだけで、そこが「虹の橋」である可能性もあるのではないでしょうか?

               

              ただ、「極楽」という所が「天国」や「虹の橋」と違うのは、私たちこの世に残された者がしっかりとお参りすることによって、それが功徳となって、亡くなった方やペットさんの成仏に繋がるというところです。

              (難しい言葉では、「己心の弥陀、唯心の浄土」と言います)

               

              もし、この考えにさえ同感いただけるのならば、その行く先が「極楽」であっても、「虹の橋」であっても、呼び名が違うだけだということになりますから、決して相反する考えではないと言えるかも知れません。

              そう思って、お寺にもお参りいただくのは如何ですか? と申し上げたら、ご質問された施主さんは、とても喜んでくださいました。

               

                本日の担当 僧侶 唯心

               

              慈妙院動物霊園

              jimyouin * 四十九日供養 * 11:16 * - * - * - -

              猫に施無畏印

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                前にこんな話を書かせて頂きました。

                職員の方、スタッフの方たちもみな一緒に、お寺では朝の勤行を行っているのですが、朝いちばんでお葬式に来られた女性の方に、先ほどお堂からお経の声が聞こえてきた時に、お堂の前に猫ちゃんたちも集まってきてましたけど、猫ちゃんもお勤めに参加するんですか? と質問されました。

                ええ、そうなんです。いつものことなんです。門前の小僧、習わぬ経を読む、ということわざもある通りですが、実を言うと、彼らの方が私より、よっぽど修行が出来ていて、いつも教えられることばかりなんです。

                 

                …という風にはとっさにお答えできなかった、というお話なんですが、さて、慈妙院の属する天台宗では、法華経の常不軽菩薩(じょうふぎょうぼさつ)の教え、というものを重要視します。

                どんな相手であれ、どんな生き物であれ、すべての生命には仏性が宿っているとして合掌礼拝されたという修行者の話です。

                私も境内で猫たちとすれ違う時は、そっと心で合掌、もしくは施無畏印と言って、相手から恐れを取り除く印でこっそり挨拶しています。

                 

                猫の世界も気楽そうに見えて、我々同様にいろんな喜び悲しみがあるのでしょうね。猫の気持ちに詳しいうちのスタッフの方が、どんなことでも試練だと思って、自分のステップアップにに繋げるべきだと思いますと言っておられました。私の修行時代の先輩のお坊さんは「よき縁となり、よき縁となす」ということを、いつも仰っておられます。

                 

                生きとし生けるもの全てが仏性を持ち、共に仏法を学ぶ法友・善友であり、そしてすべての物事や出来事が仏縁なんだと思います。

                 

                 

                慈妙院動物霊園

                jimyouin * お寺の日常 * 14:37 * - * - * - -

                亡くなったペットは帰って来ますか?

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                  四十九日までは仮の仏さまです。

                  悲しいけれど一所懸命お参りしてあげる、皆さまのその思いが功徳となって四十九日分積もって、四十九日目に無事、亡くなったペットさんは極楽往生、正式に仏さまとなって極楽(天国)にたどり着く、というお話をお参りの人たちにさせて頂いたら、一人の方が質問されました。

                   

                  ということはつまり、もううちの子は帰って来てくれないんですね?と仰るので、あれ?帰って来たら成仏してないわけですから、お気持ちは分からなくはないけれど、「帰って来てくれないんですか?」と残念そうに仰るのは、ちょっと微妙な質問では? と思った時に気がつきました。

                  そうだ、お盆になったらペットさんが帰って来ます。

                   

                  お盆になると亡くなったご先祖さまやペットさんが帰って来ます。

                  年に一度ではありますが、それを懐かしく、嬉しく祀ってさしあげるのが、お盆という行事の意味です。

                   

                  帰って来ないから成仏です。それはそれで有難いけれど、皆さんが亡くなったペットさんに会いたい気持ちも分かります。だからお盆があるのです。

                  お盆にしか帰って来てくれないんじゃありません。

                  仏さまになったペットさんはきっと極楽浄土でお忙しいにも関わらず、慈悲にあふれるのが仏さまですから、お盆になったら帰って来てくれるんです。嬉しいことではないですか?

                   

                  そういう風にその方にお伝えすることで、こちらも大事なことを教えて頂いた気がします。

                   

                                                         担当 僧侶 唯心

                   

                  jimyouin * ペット供養 * 14:03 * - * - * - -

                  ペット供養と初詣の話を再び

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                    2018年1月9日 僧侶 唯心

                     

                    大鐡和尚が年末に慈妙院動物霊園でお葬式をされた方たちから「ペットが亡くなりましたけど初詣に行っていいですか?」という質問を、何度か受けたそうです。

                     

                    このブログでも回答して下さっていますが、和尚のお答えを簡単にまとめさせて頂くと…

                    「昔から死=穢れという信仰があったから喪中に初詣に行かないという習慣が発生したと言われておりますが、穢れとは「気が枯れる」即ち近親者が亡くなり落ち込んだ状態を表しているので、そんな時に神社に参拝しても参拝に集中できないことから、無理しないでもいいですよという優しい慈悲の気持ちから来たのだと思われます。

                    そもそも神社の参拝は今まで無事に過ごせましたという感謝の気持ちと恒久の平和を願って行うものなのですから、自分の気持ちが調っていないと願掛けも心から行えないで、気持ちが落ち着いてから初詣を行えばいいのではないでしょうか」

                    …といったところです。

                    多分どの宗派の僧侶にお聞きしても、仏教の立場からは似たような解答が導き出されるでしょうから、大鐡和尚は禅宗のお坊さんですが、簡潔に明快に答えてくださったなあと思います。

                     

                    さて、これとはちょっと違った質問を私も慈妙院で受けたことがあります。

                    ペットさんの喪が明けて、もう初詣に行っても良いとなった時に、神様に対して亡くなったペットの冥福をお祈りしてもいいものでしょうかというご質問です。

                    慈妙院は天台宗という宗派のお寺ですが、こちらでは「神様」と言う存在は、仏法を守護する生命体だと考えていますので、お坊さんが神社や神様をお参りするための作法があります。
                    けれど、みなさんが初詣に行かれる時は普通の作法で結構ですから、いつも通り、初詣の時にお願いしていることがあるなら、それをお願いして、その上でペットさんの冥福も併せて祈りましょう。

                    良いことを、良い言葉でお願いするならば、どんな言葉で祈ってもいいと思います。こちらのお寺でペットさんを供養をされている方ならば、それを踏まえて、初詣の時に神様にペットさんの冥福を祈ることも、仏教的に決して間違いではありません。
                    「どんな言葉がふさわしいか自分で考える」ことも供養です。

                    jimyouin * ペット供養 * 11:00 * - * - * - -

                    初詣行くべきか?!

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                       2017年12月3日 僧侶 大鐵

                       

                       「ペットが亡くなりましたけど初詣に行っていいですか?」

                      こんな質問を最近よくされます。近親者が亡くなった時、よく神社にお参りするのは宜しくないとか言われているからと思います。年賀状も出さないで寒中見舞いにするのが礼儀のように書かれている書籍も存在します。それは昔から死=穢れという信仰があったからと言われております。穢れとは汚れや汚いというイメージを抱いてしまいますが、この言葉は「気が枯れる。」が派生した言葉でございます。近親者が亡くなり落ち込んだ状態を表していると思います。そんなときに神社に参拝しても参拝に集中できないことから、無理しないでもいいですよという優しい慈悲の気持ちから来たのかも知れません。

                       そもそも神社の参拝は今まで無事に過ごせましたという感謝の気持ちと恒久の平和を願って行うものなのです。ですから、自分の気持ちが整っていないと願掛けも心から行えないと思いますので、自分の気持ちが落ち着いてからで本当にいいのでそのときに行ってください。

                       因みにお寺はそのようなことはありません。むしろ、自分の気持ちを整えるために参拝してください。本来お寺は気軽に訪れるものだったのですが、近年その状況は変わりつつあります。これは僧侶の責任です。本当に心を整えなくてはならないのは僧侶かも知れません。

                      jimyouin * よくある(質問 * 17:02 * - * - * - -
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