四十九日の白木の位牌

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    2018年3月13日(火) 僧侶大鐵

     

     「四十九日になるとこの白木の位牌から黒位牌に移るのですか?」

    こんな質問をお昼の勤行が終わったあと受けました。私は「あくまで白木の位牌は四十九日までで、そのあとのことは分かりません。別に見たわけでもありませんので・・・。」という回答をしたのですが、このあまりのも冷たい対応に罪深さを感じたので四十九日を意味を私が教わったことを中心に話したいと思います。辞書やウィキペディアと見解が違っても苦情は言わないように。

     そもそも仏教の葬儀とは半分は得度式です。要するに僧侶になるための儀式です。もう半分は死者を弔う儀式です。そして四十九日とは私の修行したお寺で、まず、修行すると最初に見習い期間があり、その建物が白い造りの部屋に入れられ、坐禅やお経、作法、所作を徹底的に仕込まれます。その期間が約49日間で禁足といわれております。そこが由来なのではないでしょうか?見習い期間が終わると本格的に先に入った修行僧と混じって修行を行います。亡くなった方はお釈迦様の元で一緒に修行するという設定ですので、僧侶と同じ段階を踏むのです。

     しかし、私は実際に死んだ方がどのような世界に行くかもどんな生活をするかも分かりません。ですからあくまで伝承に過ぎないのです。白木の位牌から黒位牌に移るということは魂や霊的なものが移るというこで話しておられると思いますが私は実際に移るところを見たこともありませんのではっきりしたことは申し上げることはできません。しかし、これからこのような質問があった場合私はこう答えたいと思います。

     「白木の位牌から黒位牌に魂が移ったどうかは分かりませんが、あなたの気持ちが次の段階に移った証となります。四十九日間は亡くなったことに悲しんだり、思い偲んだりしておりましたが、これからは生きたという証を旨に自分がどう生きていくか?どう生きたら亡くなった方々、ペットの供養になるかを考えて生きていかねばならない段階に入ったということです。お参りするばかりが供養ではありません。自分が周りに心配かけずに元気よく生きることも1つの供養になるのです。供養にも他に色々な形があることを考えて生活してみてください。」

     

    jimyouin * 四十九日供養 * 14:32 * - * - * - -

    人間と動物

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      人間と動物って、何が違うのだろうと、よく考えます。

      そんなテーマの科学読み物を時々手にしますが、さほど満足の行く内容に行き当たりません。

       

      そんな中で「若い読者のための第3のチンパンジー」(草思社文庫)という本は、なかなかに面白いと思って読んでいたら、NHKで著者のジャレド・ダイヤモンド博士が同じ内容をわかりやすく解説する番組が始まりました。

      テーマに関する情報が原作以上によく理解できる構成で、興味が尽きません。

      もう少しで最終回です。興味のある方は是非ご覧ください。

       

       

      本日の担当 慈妙院動物霊園 僧侶 唯心

      jimyouin * お寺の日常 * 17:45 * - * - * - -

      お寺では「虹の橋」のことを、どう考えていますか?

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        天台宗のお寺である、ここ慈妙院で、お参りの方から「虹の橋ってあるんでしょうか?」という質問を受けました。

         

        「虹の橋」については、説明するまでもないでしょう。

        皆さまが「虹の橋」があればいいのに、「虹の橋」でまたペットと会えればいいのに、とお思いになるお気持ちは、重々よく理解できますが、100%お寺の考えと同じではないですよと、お答えしようと思った時に、ちょっと気が付きました。

         

        例えば天台宗で亡くなった後に行く所とされているのは、「極楽浄土」です。

        きれいな池があって、宝石で飾られた欄干があって、みたいな描写がお経にはありますが、名前が違うだけで、そこが「虹の橋」である可能性もあるのではないでしょうか?

         

        ただ、「極楽」という所が「天国」や「虹の橋」と違うのは、私たちこの世に残された者がしっかりとお参りすることによって、それが功徳となって、亡くなった方やペットさんの成仏に繋がるというところです。

        (難しい言葉では、「己心の弥陀、唯心の浄土」と言います)

         

        もし、この考えにさえ同感いただけるのならば、その行く先が「極楽」であっても、「虹の橋」であっても、呼び名が違うだけだということになりますから、決して相反する考えではないと言えるかも知れません。

        そう思って、お寺にもお参りいただくのは如何ですか? と申し上げたら、ご質問された施主さんは、とても喜んでくださいました。

         

          本日の担当 僧侶 唯心

         

        慈妙院動物霊園

        jimyouin * 四十九日供養 * 11:16 * - * - * - -

        猫に施無畏印

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          前にこんな話を書かせて頂きました。

          職員の方、スタッフの方たちもみな一緒に、お寺では朝の勤行を行っているのですが、朝いちばんでお葬式に来られた女性の方に、先ほどお堂からお経の声が聞こえてきた時に、お堂の前に猫ちゃんたちも集まってきてましたけど、猫ちゃんもお勤めに参加するんですか? と質問されました。

          ええ、そうなんです。いつものことなんです。門前の小僧、習わぬ経を読む、ということわざもある通りですが、実を言うと、彼らの方が私より、よっぽど修行が出来ていて、いつも教えられることばかりなんです。

           

          …という風にはとっさにお答えできなかった、というお話なんですが、さて、慈妙院の属する天台宗では、法華経の常不軽菩薩(じょうふぎょうぼさつ)の教え、というものを重要視します。

          どんな相手であれ、どんな生き物であれ、すべての生命には仏性が宿っているとして合掌礼拝されたという修行者の話です。

          私も境内で猫たちとすれ違う時は、そっと心で合掌、もしくは施無畏印と言って、相手から恐れを取り除く印でこっそり挨拶しています。

           

          猫の世界も気楽そうに見えて、我々同様にいろんな喜び悲しみがあるのでしょうね。猫の気持ちに詳しいうちのスタッフの方が、どんなことでも試練だと思って、自分のステップアップにに繋げるべきだと思いますと言っておられました。私の修行時代の先輩のお坊さんは「よき縁となり、よき縁となす」ということを、いつも仰っておられます。

           

          生きとし生けるもの全てが仏性を持ち、共に仏法を学ぶ法友・善友であり、そしてすべての物事や出来事が仏縁なんだと思います。

           

           

          慈妙院動物霊園

          jimyouin * お寺の日常 * 14:37 * - * - * - -

          亡くなったペットは帰って来ますか?

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            四十九日までは仮の仏さまです。

            悲しいけれど一所懸命お参りしてあげる、皆さまのその思いが功徳となって四十九日分積もって、四十九日目に無事、亡くなったペットさんは極楽往生、正式に仏さまとなって極楽(天国)にたどり着く、というお話をお参りの人たちにさせて頂いたら、一人の方が質問されました。

             

            ということはつまり、もううちの子は帰って来てくれないんですね?と仰るので、あれ?帰って来たら成仏してないわけですから、お気持ちは分からなくはないけれど、「帰って来てくれないんですか?」と残念そうに仰るのは、ちょっと微妙な質問では? と思った時に気がつきました。

            そうだ、お盆になったらペットさんが帰って来ます。

             

            お盆になると亡くなったご先祖さまやペットさんが帰って来ます。

            年に一度ではありますが、それを懐かしく、嬉しく祀ってさしあげるのが、お盆という行事の意味です。

             

            帰って来ないから成仏です。それはそれで有難いけれど、皆さんが亡くなったペットさんに会いたい気持ちも分かります。だからお盆があるのです。

            お盆にしか帰って来てくれないんじゃありません。

            仏さまになったペットさんはきっと極楽浄土でお忙しいにも関わらず、慈悲にあふれるのが仏さまですから、お盆になったら帰って来てくれるんです。嬉しいことではないですか?

             

            そういう風にその方にお伝えすることで、こちらも大事なことを教えて頂いた気がします。

             

                                                   担当 僧侶 唯心

             

            jimyouin * ペット供養 * 14:03 * - * - * - -

            ペット供養と初詣の話を再び

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              2018年1月9日 僧侶 唯心

               

              大鐡和尚が年末に慈妙院動物霊園でお葬式をされた方たちから「ペットが亡くなりましたけど初詣に行っていいですか?」という質問を、何度か受けたそうです。

               

              このブログでも回答して下さっていますが、和尚のお答えを簡単にまとめさせて頂くと…

              「昔から死=穢れという信仰があったから喪中に初詣に行かないという習慣が発生したと言われておりますが、穢れとは「気が枯れる」即ち近親者が亡くなり落ち込んだ状態を表しているので、そんな時に神社に参拝しても参拝に集中できないことから、無理しないでもいいですよという優しい慈悲の気持ちから来たのだと思われます。

              そもそも神社の参拝は今まで無事に過ごせましたという感謝の気持ちと恒久の平和を願って行うものなのですから、自分の気持ちが調っていないと願掛けも心から行えないで、気持ちが落ち着いてから初詣を行えばいいのではないでしょうか」

              …といったところです。

              多分どの宗派の僧侶にお聞きしても、仏教の立場からは似たような解答が導き出されるでしょうから、大鐡和尚は禅宗のお坊さんですが、簡潔に明快に答えてくださったなあと思います。

               

              さて、これとはちょっと違った質問を私も慈妙院で受けたことがあります。

              ペットさんの喪が明けて、もう初詣に行っても良いとなった時に、神様に対して亡くなったペットの冥福をお祈りしてもいいものでしょうかというご質問です。

              慈妙院は天台宗という宗派のお寺ですが、こちらでは「神様」と言う存在は、仏法を守護する生命体だと考えていますので、お坊さんが神社や神様をお参りするための作法があります。
              けれど、みなさんが初詣に行かれる時は普通の作法で結構ですから、いつも通り、初詣の時にお願いしていることがあるなら、それをお願いして、その上でペットさんの冥福も併せて祈りましょう。

              良いことを、良い言葉でお願いするならば、どんな言葉で祈ってもいいと思います。こちらのお寺でペットさんを供養をされている方ならば、それを踏まえて、初詣の時に神様にペットさんの冥福を祈ることも、仏教的に決して間違いではありません。
              「どんな言葉がふさわしいか自分で考える」ことも供養です。

              jimyouin * ペット供養 * 11:00 * - * - * - -

              初詣行くべきか?!

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                 2017年12月3日 僧侶 大鐵

                 

                 「ペットが亡くなりましたけど初詣に行っていいですか?」

                こんな質問を最近よくされます。近親者が亡くなった時、よく神社にお参りするのは宜しくないとか言われているからと思います。年賀状も出さないで寒中見舞いにするのが礼儀のように書かれている書籍も存在します。それは昔から死=穢れという信仰があったからと言われております。穢れとは汚れや汚いというイメージを抱いてしまいますが、この言葉は「気が枯れる。」が派生した言葉でございます。近親者が亡くなり落ち込んだ状態を表していると思います。そんなときに神社に参拝しても参拝に集中できないことから、無理しないでもいいですよという優しい慈悲の気持ちから来たのかも知れません。

                 そもそも神社の参拝は今まで無事に過ごせましたという感謝の気持ちと恒久の平和を願って行うものなのです。ですから、自分の気持ちが整っていないと願掛けも心から行えないと思いますので、自分の気持ちが落ち着いてからで本当にいいのでそのときに行ってください。

                 因みにお寺はそのようなことはありません。むしろ、自分の気持ちを整えるために参拝してください。本来お寺は気軽に訪れるものだったのですが、近年その状況は変わりつつあります。これは僧侶の責任です。本当に心を整えなくてはならないのは僧侶かも知れません。

                jimyouin * よくある(質問 * 17:02 * - * - * - -

                ペットの神様

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                  先日、お葬式に来られた方たちが、葬儀も出棺も終わってお別れ室を出る時に、係りの人に声をお掛けになったそうです。

                  後から係りの人が私に、あの方たち、何か仰ってませんでしたか?と尋ねたので、そのことを知りました。

                   

                  いいえ、何も仰ってませんでした、どうしましたかと私が聞くと、係りの人が言うには、「うちのペットは、どの神さまのところに送ってもらえたんでしょうか?」とお尋ねになったそうです。

                  係りの人は慌てて、そんなことを聞かれても自分はお坊さんじゃないし、何と答えたものか困ったそうですが、とりあえず「神さまじゃなくて仏さまですよ」と答えてくれたそうです。

                   

                  それを聞いて私は思わず係りの人に言いました。

                  有難うございます。100パーセント完璧な答えです。

                  応対としても、或いは仏教的にも、それだけで一点の不足もなく、十分です。

                  その瞬間に質問された方の心の曇りも悩みも、一瞬にして晴れたことであろうと私は思います。

                   

                                本日の担当 僧侶 唯心

                   

                  慈妙院動物霊園

                  jimyouin * お寺の日常 * 14:58 * - * - * - -

                  犬の夢枕

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                    慈妙院にペットさんの供養でお参りされてる方の中にも、亡くなったペットが夢に出てくると来ないとか、出てきてほしいのに、といった類のお話を、参拝者同士でされている方たちがおられます。

                     

                    それは皆様それぞれの思いですから、それを小耳に挟んでも、とやかくは申し上げないのですが…

                     

                    先日のことです。

                    ある女性の方が質問されました。

                     

                    「お家で寝ている時に、いつも亡くなった犬が肩を叩くんだと、知り合いの男性が仰います。どうしたものでしょうか?」

                     

                    他の宗旨のある種の宗教家の方ならば、ペットさんが肩を叩く意味や、それならどうしなければいけないかを教えてくれるかもしれません。

                    普通の人なら、単純にペットが会いに来たんだよとか、反対にそんなの気のせいだとか、言うかも知れません。

                     

                    お寺の場合は違います。

                    対機説法、応病与薬と言って、お医者さんが症状に応じて薬を出すように、同じ質問であっても、状況によって答が違います。

                    犬に肩を叩かれるその方が、どんな思いでいるのか、嬉しいのか、怖いのか、戸惑っているのか、まずそこが大事です。

                     

                    今度その男性ご自身が、その犬の法要のために来られるそうなので、もしも私が出仕している日にお越しになるならば、ぜひお話を伺いたいものだと考えています。

                     

                    慈妙院動物霊園

                    僧侶 唯心

                    2017年10月25日

                    jimyouin * ペット供養 * 11:21 * - * - * - -

                    猫の勤行

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                      職員の方、スタッフの方たちもみな一緒に、お寺では朝の勤行を行っています。

                      さて、朝いちばんでお葬式に来られた女性の方に、先ほどお堂からお経の声が聞こえてきた時に、お堂の前に猫ちゃんたちも集まってきてましたけど、猫ちゃんもお勤めに参加するんですか? と質問されました。

                      あはは、いえいえ、そこまでは修行ができておりませんので、と答えてしまったんですが、それから後で思い当たりました。

                       

                      こんな答が咄嗟に出たのは、私の心のどこかに、その方が期待しておられたであろう、「そうです、みんなに可愛がられてるこの子たちはお利口さんなので、毎日、勤行に参加しているんですよ」みたいなお答えをしたくないという、ちょっとひねくれた気持ちがあったからに違いません。

                      そういう意味では、修行が足らないのは猫ではなくて、私の方ですね。

                       

                      ではどんな答が、この場合ふさわしかったのでしょうか?

                      例えば…

                       

                      (ごく普通に)ええ、そうなんです。いつものことなんです。

                      △呂ぁ¬臍阿両僧、習わぬ経を読む、ということわざもある通りですね…

                      実を言うと、彼らの方が私より、よっぽど修行が出来ていて、いつも教えられることばかりなんです。

                       

                      今の私の気持ちとしてはまさにH屬任后

                      なぜって、現にこうして、その後、自らを省みて、今、この文章を書いている私に、うちの猫たちが、その仏縁を与えてくれた訳ですから。

                      猫の気持ちに詳しいうちのスタッフの方から、猫たちによろしく伝えておいてもらうことに致しましょう。

                      生きとし生けるもの全てが、共に仏法を学ぶ法友、善友なんですね。

                       

                                                   本日の担当 僧侶 唯心

                       

                      慈妙院動物霊園

                      jimyouin * お寺の日常 * 17:20 * - * - * - -
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